育児ノイローゼ気味だった私が育児が楽しくなった理由

育児、子育て中の親は本当に大変です。共働きであろうがなかろうが、自立できていない、人の助けを必要とする存在(子ども)がいるというのは、思った以上に負担が出てくるものです。私は一人目の子供がまだ0歳~1歳の頃、育児ノイローゼ気味になりました。特にどこかに相談したりはしなかったですが、今考えると結構精神的に病んでいたと思います。

 

なぜ子育てが辛くなるのか

ケースバイケースだとは思いますが、私の場合は「地元で生活していないため、親類・知人・気軽に相談できる友人がいなかったこと」「リーマンショック後の経済悪化で家計に多大な影響が出て、出かけること(出費)をためらう状況であったこと」「一人目の子どもが当時は重度の食物アレルギーとアトピーの皮膚炎があり、気軽な外出ができなかったこと」などが重なり、外出は徒歩圏内を時々散歩する程度で、ほとんど家で24時間365日子どもと過ごしました。独身時代からカフェで一人でボーっとするのが大好きだった私にとって、「外出できない」「一人時間がない」「人に遠慮なくぼーっとする時間がない」のはとても辛い状況でした。そして何より、【その状況が自分にとって辛い】と認識できていなかったことが、自分で自分を追い詰めていったのだと思います。

 

子育てするなら〇〇は当たり前

自分の置かれた状況が自分にとって辛い、と認識できなかったのは、自分で自分にたくさんの当たり前があったからです。

・子育てしているなら、子どもと過ごすのが当たり前

・母なら我慢するのが当たり前

・気分転換くらいで人に頼るのはおかしい。

などなど、色んな制限が自分の中にありました。

 

子育てが少し楽になった理由

まず始めに楽になったキッカケは、パートのお仕事を始めたからでした(あくまで私の場合です)。少しですが、家計が楽になったし、通勤で車を片道40分程度運転していたので、その時間は完全に一人の世界に入ることができ、とっても気分転換になったのを覚えています。そしてお仕事を始めるのをキッカケに思い切って自分用の車を購入しました。そのおかげで、フットワークが軽くなり、子どもとのお出かけもだんだんと楽しめるようになりました。

ただ、それでもまだ、育児が100%楽しめていたわけではなく、家事や仕事のバランスを取るために四苦八苦したり、仕事の時間や出勤日という枠があるので、それに合わせるためにイライラすることも少なからずありました。

 

自分の当たり前を疑う機会をくれたのは子どもだった

少し状況は良くなりましたが、イライラすることや怒鳴ってしまうことはやっぱりあって(イライラすることが悪いわけでも、怒る、叱ることがダメなわけでもありません。人間ですから(笑))、その時に、色んな記事や本を読んで知ったのが

子どもは親(特にママ)を選んでいること、親(特にママ)を幸せにするために生まれてきていること

でした。

自分がそんな目的で親を選び生まれてきた、とかはハッキリ言って覚えていませんが、なんだか「そうだ」と思いました。確証はないけど、そうだよな、と感じたんです。そしてその目線で、子どもたちを子育てするようになりました。私がまず始めたのは、感情が揺さぶられた時にノートに書き綴ることでした。自分から湧き出るもの(気持ち、感情、考えなど何でも)をとにかくツラツラ書きなぐる。そうやっていくうちに、子どもたちが自分をイライラさせるのは、私の内側にあるものを気づかせてくれるためなんだと分かりました。

 

子どもが親を幸せにしたいのは、上っ面の幸せではなく、真からの幸せ

子どもは生まれてから小さい間は、とにかく【無条件に親を愛して】いることを表現してくれます。親に「自分は無条件に愛されていい存在だ」と、訴え続けてす。そして、親の感情を揺さぶるのは、親の中にある制限や思い込み、考え方のクセを気づかせるため。わたしたちは生きていくなかでたくさんの制限や思い込み、考え方のクセ、価値観などのフィルターを無意識のうちに身につけていきます。洋服や小物のように見えるものであれば、不要になったら分かりやすいのですが、そういったフィルターは見えないので、分かりづらいです。しかし、存在いています(無意識の中に)。子どもたち(場合によっては人間関係で自分をモヤモヤさせる人)は、その存在をお知らせしてくれているのです。

 

フィルターに気づいた時点でそのフィルターのパワーは軽減される

あ、私にはこんな考え方のクセがあったな、とかこんな価値観を握りしめていたな、と気づいた時点で、そのフィルターのパワーは減っていきます。そして、今まで自分に猛威をふるってきたものであればあるほど、気づいた時点でとても癒されていきます。わたしは日々、ノートに自分の内側から湧き出るものを書きつづり、吐き出せるものを吐き出した上で書いたものを客観視することで自分の中のフィルターに気づき、より心地よいフィルターに書き換えたり、サヨウナラをすることを決断したりしてきました。そうすることで、フィルターが激減しました。

 

フィルターが減ることで起こること

自分の中のフィルターが減ると、フィルターがあった時には揺さぶられていた感情が、揺さぶられなくなります。例えば、「家事は母親がすべき」という価値観を握りしめている子どものいる女性が、とっても忙しい時に、パートナーに「今日のご飯はなに?」と聞かれたら、その女性は「家事は母親がすべき」だと思っているので、「自分が作るべきごはんは何?と聞かれた。こんなに忙しいのに!早く作れということか!イライラーー!!!!」となる可能性がありますが、「家事は母親がすべき」という価値観をもっていない子どものいる女性が同じ言葉を聞いたとき、フィルター(価値観)がないので、「今日のご飯はなに?」という、質問の事実だけに反応し、「今忙しいからご飯どころじゃないの。考えてくれる?」という返しができ、相手も、それなら自分が考えよう、と思うかもしれません。(相手にどんなフィルターがあっても、それはこちらではコントロールできません。自分がどうしたいか?を素直に伝えていくことの積み重ねです。)

フィルターが減ることで、言葉から妄想を膨らませたり、言葉から勝手に思考と感情を展開することなく、気になることも減っていきます。ただ、答えるだけ。人生の中でイヤな出来事が減るわけではありませんが、フィルターが減ると、感情が揺さぶられることが圧倒的に減っていくのです。

 

感情が揺さぶられることが減ることで起こること

感情が揺さぶられることが減っていくことで感じたのは、「感情を感じることが、人間としての喜びなんだ」ということでした。あわせて、ノートで自分の気持ちなどをまるまるっと吐き出すことで、自然に自分をまるごと受容する作業に繋がっていき、あらゆる感情に優劣はないことも実感できました。その結果、子どもが泣きわめいたり、怒ったりすると、以前はイヤな気分になっていたのに「こども自身が感情を味わう経験を楽しんでいるのだなぁ」と感じるようになり、とても可愛く見えるようになりました。笑ったり喜んだりはもちろん、泣いたり怒ったりも可愛いので、「おいで~」と声をかけて、ギューっとしてあげることがとても増えました。これは、育児法を駆使して、「ギューっとするのがいいから」とか頭でわかっているだけでは、表面的だと思います。自分が自分の感情を受け容れていくからこそ、相手の感情も心から受け容れられるのだと感じています。(そして、時には受け入れられない気分の自分もあります。そんなときは、そんな自分をOKする、気づいてあげるのです)

 

育児が本当の意味で楽になる自己受容

わたしは子どもが育児を通して教えてくれたことがキッカケでしたが、結局、人生のどんな場面でも「自己受容(自分に気づき、認めていく)」ができていくことが、あらゆる面で自分を楽にしてくれます。

自分を受容すればするほど、自分と自分を取り巻く世界を俯瞰してみることができるようになってきます。

俯瞰してみれるようになればなるほど、人生に起こる全てが喜びであり、一つ一つの体験自体を楽しんでいるのだということが、分かってきます。

子どもがあなたに与えたいのは、エゴの欲求を叶えるだけの上っ面の幸せではありません。どんな状況になっても、根底に安心のある幸せ、日常の些細なことにある幸せ、それを感じられる感性や感受性を目覚めさせる、真からの幸せなのです。

かつて私たちも子どもでした。ほとんどの人は「親を幸せにしたかった」という、生まれて最初のミッションを失敗し、最初から自分を否定して大人になってきたと思います。自分の親の人生は、親の人生。これからの自分の人生や、自分の子どもの人生のために、自分自身を根底から幸せにしていく生き方を選んでいきましょう。

 

参考記事:自己受容とは

 

Ayako
小学生と園児の2児の母です。 ~無理せず、自然に、私らしく~ 自分を受容するにつれて、世界からの様々なもの、タイミングなどに気づきやすくなり、受け取り上手になります。受け取り上手は与え上手。 自分の世界の波に乗るような生き方を体感できます。 ヒントや気づきにつながる情報をシェアします。 最近、自分が「隠れアスペ」と気づきました。共感力も低い。それを自分で認識しただけで、とても楽になり、さらに毎日が楽しくなってきました。
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