姉と父が亡くなった後に残った罪悪感

こんにちは。井上亜矢子です。

こちらの記事に書きましたが

私の父と姉はすでに他界しています。

お金使いが荒くて

借金増やすばかりで

母や兄や私を困らせていた父と姉。

その二人が亡くなったあと

私は

二人が亡くなって助かった

と思ったんです。

その前までは

小さいころから無意識に

大人になったら

しっかり稼いで

母を守らなければならない。

と、どこかで思っていた。

(反面教師にするほど、母を嫌いでもやっぱり奥底で幸せになって欲しい、という気持ちを引きずっているものです。そう、話は変わりますが、子ども達はママを幸せにするために生まれてきます。イライラさせるのも、モヤモヤさせるのも、ママが何かに気付いて真の幸せを感じられるようになるように、子ども達がしかけているものがほとんど。そして、私たちもかつては子どもだったのです。忘れてはいても、たとえ今は嫌いでも憎んでいても、『母を幸せにできなかった』(←多くの母親は変わらないのでね)という最初で最大の無価値感を、ここで私たちは自分で自分に植え付けているのです。そしてね、「自分の子どものために私が幸せにならなきゃ!」という方向に行くのはちょっと私の伝えたい本意じゃないです。あなた自身のために、あなたが幸せをもっと感じられるようになってほしい。子ども達の願いも、そこだから。)

その

(自力でたいして稼げないかもしれない)母を

私が守らなければ

借金がずーっと残ったままなら

私が働いて返す手伝いをしなければ

という重荷がなくなった。
(親の借金を子どもが肩代わりしなくてもよいと知ったのはだいぶん後。)

肩の荷がおりたら

今までやりたくても存分にはやれなかった事に夢中になった

旅行。遊び。(バイトをし始めてからは少しはしてたけど、二人が亡くなってからはもっと羽を伸ばした)

そしてね

ある程度気が済んできたら(笑)

ハッと思った。

わたし

人が死んだのに

喜んでたわ

って。

その罪悪感。

人には誰しもいろんな人生があって

色んな出来事があって

みんなそれぞれ

大なり小なり

罪悪感を抱えていると思うの。
(ここで、私はあの人に比べたらたいした人生じゃない、この人はすごい過酷な人生だった、それに比べたら私は・・・と思わなくていいんです。あなたが生きているのは、あなたの人生なので、物事に大小、優劣、すごい、すごくない、はなく、【自分が】【どう感じるか】だけなのです。あなたがどう感じたか?どう感じているか?が全てなのです)

それ(罪悪感)

抱えたままでなくていい。

抱えたいなら抱えててもいいけど。

その罪悪感あるせいで

私は幸せになれない

幸せになる資格はない

なんて

思わなくていい。

だって

この世界は

あなたのための世界なんだ

存在した人たちも、今存在してる人たちも

あなたの人生に

気づきを与える存在であって

あなたに

罪悪感を与えたかったわけではない
(与え、与えられる、というレッスンだったかもしれない)

もちろん

罪悪感を持ち

それを

それもあっていいね、と思う(受容する)

とか

なくていいね、ポイっとする(自分の好みに変えていく)

とかって、自由にしていい。

あなた自身の人生全体のために

その出会いと出来事はあったのだ。

だから

罪悪感はもう

持たなくていい。

持ちたかったら

持っていい。

どちらにしてもあなたは

幸せになっていい✨

【ここからかなり目に見えない世界の話になるから、好みじゃない方はスルーして下さい。】

ちなみに私は

「もうその罪悪感持たなくていいよ」

を、青山初音さんと仁川由衣さんの講座を受講中に、

姉が初音さん(目に見えない方との交流が得意な方です)を通して

伝えてきてくれたので解き放たれました。
(私の世界で起こっていることだから、信じない方がいてもOK♪私が救われた、というのが私には大事です)

何度も何度も

謝ってきた姉。

私が幼児くらいのころ、

姉が大好きで近寄っても近寄っても

7歳下の小さいわたしが

ウザくて邪険にしたことを

後悔していたようで

何度も何度も

「あんたは本当に可愛かった」

と言ってくれました。

(姉自身も、おそらく私以上に自己肯定感が低かったので、「なんで私なんかに寄ってくるんだ」と思っていたみたい。)

ありがとう、お姉ちゃん。

私はお姉ちゃんが大好きでした。

家族そろっているところも大好きだった。

母は喜怒哀楽が激しかったから

私が嫌いだった母の

愚痴を言っている、文句を言っている、怒っている、イライラしているところばかり

どうしてもクローズアップして生きてたんだけど

視点を変えたら

母は楽しんだり喜んだりするのが上手で

母の機嫌が良いとき

かつ

家族5人全員そろっているときは

末っ子だった私は本当に幸せでした。

家族揃っている空間にいるだけで

本当に幸せだった。

年末年始には

父はのんびりビール飲んだら横になり

母子4人で

トランプの大富豪で盛り上がったりもした。

末っ子だったから

どうしても

もっとみんなと遊びたくて

でも、上の姉兄や大人からしたら

ずっと同じ遊び(しかも小さい子相手)は

楽しくなくて

切り上げられると悲しかった。

今考えたら本当に

私は

色んな小さな出来事を

自分の色眼鏡で

自分のフィルターで

「私は愛されていない」

って変換していたんだな、と思います。

いま

思い出しながら

涙ボロボロ出てきながら

入力してるんだけど
(涙ボロボロは、UPした時じゃなくて、ベタ打ちしてる時です)

なんでこんなことまで書くかって

自分の深いところの出来事ほど

ピンとくるというか

反応するというか

気づきを得てくれる人がいるかもしれないなって。

幸せはすぐそばにあるんだよ、って。

自分の色眼鏡とフィルターで見えなくなってる

気付かなくなってる

感じなくなってる

だけなんだよって

伝えたいから。

もう

自分の思い込みに囚われて

「自分はありのままでは愛されない」

をしなくて良いよ、って

伝えたいのです。

そして何より

書きながら私自身が癒されてしまった(笑)

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Ayako
小学生と園児の2児の母です。 ~無理せず、自然に、私らしく~ 自分を受容するにつれて、世界からの様々なもの、タイミングなどに気づきやすくなり、受け取り上手になります。受け取り上手は与え上手。 自分の世界の波に乗るような生き方を体感できます。 ヒントや気づきにつながる情報をシェアします。 自己受容含む、色々な記事をアメブロでも更新しています。 (アメブロ:https://ameblo.jp/ayako44448888/)
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