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どんな人生送ったの?①

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小学生と園児の2児の母です。 ~無理せず、自然に、私らしく~ 自分を受容するにつれて、世界からの様々なもの、タイミングなどに気づきやすくなり、受け取り上手になります。受け取り上手は与え上手。 自分の世界の波に乗るような生き方を体感できます。 ヒントや気づきにつながる情報をシェアします。 自己受容含む、色々な記事をアメブロでも更新しています。 (アメブロ:https://ameblo.jp/ayako44448888/)

こんにちは。井上亜矢子です。

私に興味をお持ちくださり、ありがとうございます!

 

こちらに細かく、どんな人生を歩んできたのか書かせて下さい。

 

昭和50年代生まれのアラフォーです。

福岡市に生まれました。

父は料理人、母は父のお店を手伝っていました。

父はギャンブル依存症で、死ぬまでギャンブルを断てなかった人でした。

母は、良く言えば(必要以上に)面倒見がよく

悪く言えば、見返りを求める人でした。

自分を良く見せるために

構ってもらうために不幸を引き寄せていたように今は感じますが

「ギャンブルする夫を持つ不幸な妻」として

子どもに夫の悪口ばかり、愚痴ばかり、イライラばかりぶつけていました。

 

 

私は西洋占星術の星的にも、人生を振り返っても

幼少期は特に母の影響を濃く受けた人生でした。

 

 

2歳の頃に迷子という家出をした事があります。

私は迷子に計4回なりました(笑)
(なろうとしてなかったけど、結果的に迷子になったw)

 

覚えていないくらいの小さな頃からの

「私は愛されていない」

がおそらく根強くて

「(自分の周りに人が)いなくなった!」の、思い込みが激しかったのです。

子どもは視野が狭いだけなんですが

見える範囲に親が見当たらず(本当は近くにいたのに)

「私を放ったらかして、行ってしまった!」

と思って一生懸命に探していました。

探す間に泥沼に・・・結局迷子。

 

そんな、自己肯定感の低い幼少期でした。

 

母が自己肯定感が極端に低かったので

口が立つ姉への当たりが強く

私は母も姉も根底では大好きだったのですが

 

母へは迷惑をかけないように(すぐにイライラして怒鳴り散らすから)

あまり言いたい事を言わないようしに、

姉へは大好きで近寄ってばかりいました。

 

姉は私より7つ年上というのと

末っ子の私が親から可愛がられていると勘違いをして

私の愛情表現がウザかったようで

とても冷たくされていました。

 

兄は小さな頃から優しかったですが

自分を抑えて暮らしてきた印象です。

 

幼少期はあまり良い思い出がなく

「わたしは愛されてない」

が根底にあり

友達も、気持ちが優しく満たされるような関係を築けず

自己肯定感の低さが影響して

一方通行な感じを繰り返した印象だけで

あまりはっきりとは覚えていません。

 

優しいお友達に対しては

「そんなに優しいなんて、ありえない」

と思い

意地悪なお友達に対しては

「やっぱり私はこういう扱いをされるんだ」

と思い

 

今となっては

ものすごい思考パターンのベース(思い込み・固定観念・価値観・設定)を作り上げていたんだなぁ~と思います💦

 

小学校に入ると

自分の思い込みの激しさや

母の気質が影響し

やっぱり

優しさに満たされるような友人関係はなかなか築けませんでした。

優しいお友達がちゃんといるのに

その優しさに気づけない。

 

そして

イジメは、イジメもしたし、イジメられたりもしました。

 

自分を自分で不幸にすることで

構ってもらおうとする方法しか

知らなかったのです。

 

そう、母のように。

 

②へ続く

 

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