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どんな人生送ったの?③

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小学生と園児の2児の母です。 ~無理せず、自然に、私らしく~ 自分を受容するにつれて、世界からの様々なもの、タイミングなどに気づきやすくなり、受け取り上手になります。受け取り上手は与え上手。 自分の世界の波に乗るような生き方を体感できます。 ヒントや気づきにつながる情報をシェアします。 自己受容含む、色々な記事をアメブロでも更新しています。 (アメブロ:https://ameblo.jp/ayako44448888/)

どんな人生送ったの?②」の続きです。

 

実は、私が高校3年くらいの時に

当時25歳くらいだった姉が脳腫瘍になりました。

大学生の時に、その姉が26歳で他界しました。

 

家族にとって

お金遣いが荒く

ワガママだった姉。

 

私は姉が脳腫瘍になる前は

姉には憎しみしかなく

(なぜなら、小さい頃に、大好きで近寄って行っても相手にしてもらえず、愛した→拒絶された→悲しい→怒り→憎しみ、になったから。そして、家族の貧乏の原因が姉にもあったからです。)

 

入院している期間は

時々お見舞いに行くくらいで

あまり何の感情も沸きませんでした。
(優しい兄は、しょっちゅう行っていた様子。しかも、姉の昔の彼がお見舞いに来ると知ると、「今日はオシャレしないとね」と髪をといてあげたりしてたそうです。私と全然違う!!)

 

亡くなる前に、一時期退院していたのですが

脳腫瘍の手術後だったので

左半身がマヒしていて

「あや、冷蔵庫からジュース取って」

と言われても

「自分で取れるから自分で取れば」

と言っていました。

 

これは、素直になれなかったのもあります。

姉の事が大好きだったのに

姉には冷たくされ続けた。

幼児の頃の私を使いっぱしりに使ってた。

(園児くらいの時によく「あの駄菓子屋で○○買ってきて。行かないなら絶交。」と言われ、なぜか「絶交」という言葉が大の苦手だった私は泣きそうになりながらも駄菓子屋によく走って行っていました)

 

そして

ブタ・ブスと言われまくった。

あんたは捨て子で橋の下で拾ったんだ、と言われた。

 

大好きだったのに

姉は私の愛を受け取らなかった・・・・!!

 

姉にしてみれば、

姉は母に同じことを感じていたと思います。

 

母が好きだから

母がイライラする事をし

母が好きだから

母に何かに気付いて欲しかった

母に幸せになって欲しかった

でも母は変わらなかった
(周りからどんな風に見えても、おそらくそれが母の幸せだから。そして、姉だけでなく、私も母に対して色々な感情がありました。)

 

 

私は

半身不随の姉に、優しくすることで

「あなたの命はもうすぐ終わります」

と悟られるのも避けていた気持ちもありました。

 

姉自身は

手術で良くなったと思っていましたが

姉以外の家族は

手術が延命にしかならないことを知っていました。

 

私は

姉の病気が発覚してから

姉が他界するまで

冷たくしか接することができませんでした。

 

姉がいなくなり

兄も10代終わり頃には家を出ていたので

静かな家になりました。

 

父は

前ほどはギャンブルをしていないように見えました。

 

大きな金額の借金がバレるたびに

「もうやめる」

と母に約束していたらしい父。

 

その父が

やっぱり止めきれてないと分かり

しばらくして

 

交通事故で他界しました。

 

その時私はバイトで貯めたお金で北海道に行っていました。

充電が心配で、PHS(携帯みたいなの)の電源をオフにしていました。

 

ある駅に着いた時

ちょっと電源を入れてみようとオンにしたら

兄から電話がかかってきました。

 

「お父さんが交通事故にあって、集中治療室に入っているよ。助からないかもしれない。」

と。

 

「お兄ちゃん、何度も電話した?」

と聞いたら

「ううん、今初めて電話したよ」

と。

 

見えない世界を感じました。

そして

父が私が福岡に帰るのを待っているように感じました。
(父は私に対して家族の中で一番愛情表現を示してくれていたように思っています。私の性格は一番父の血を引いているっぽいからかもしれません。)

 

それと同時に

もし父が魂の存在になるのなら

慌てて帰らなくても

いつか会えるのだし

帰ったあとに父がどんな状態でも

父を感じられるに違いないと

なんか思っていて

 

でも今思うと

一緒に行動していた人が北海道旅行を楽しみにしていたので

変更させると申し訳ない、と無意識に気をつかっていた気がします。
(自分の声を聞けなかった。素で。)

 

北海道から福岡に帰る飛行機を早めることも不可能ではなかったのだけど

なぜか旅程通り、翌日の飛行機で帰りました。

 

父は帰らぬ人になっていました。

 

④へ続く

 

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